衣服と幸せの関係
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こんにちは。松田です。
ブログを書くのは久しぶりですが、展示前で制作に没頭している中で、少しずつ整理されてきた考えを改めてまとめておきたくなり、こうして文章にしました。よければ最後まで目を通していただけると嬉しいです。
自分のものづくりは、自分の幸せを見つけていく実体験に、深く根付いている部分が多くあると感じています。考えが明確になり、ブランドとして活動するに至ったのも、根底にはそれを誰かと共有したい、そして実感してほしい、という思いが大きく含まれているのだと思います。
自分なりに考える幸せとは、つまるところ「自分の人生は自分のものだ」という、この単純な事実を受け入れることに尽きるのではないか、と今は考えています。
それは、すでに存在する誰かのテンプレートに、自分を押し込めないこと。ただそれだけで心の消耗はぐっと減り、消耗が減ることで、幸せを見つけられる余白が生まれるのではないでしょうか。
幸せは、才能や性格といった先天的なものに左右されるというよりも、暮らしや生活の細部に潜んでいて、それを見つけていくものだと信じています。
歳を重ねたとき、結果として本当に幸せを感じられている人は、誰かに何かで勝った人やそれを積み重ねた人ではなく、自分の生活を自分の手で扱えている人なのだと思います。
失ったものを嘆きすぎず、残ったものを大切にすること。関係が重くなりすぎないように、少し軽くしてみること。自分の体を丁寧に扱うこと。期待を置き直すこと。そうやって、暮らしの目線や手触りを整え続けられる人。
今日の自分を雑に扱うことを、一つずつやめていくこと。その中には、毎日欠かさずに向き合う衣服との関係も、大きく影響していると感じます。
なぜ買ったのか、なぜ着たいのか。そういった理由を持って迎え入れたものがクローゼットに並んでいれば、たとえ無造作に手に取ったとしても、それは決して雑な選択にはなり得ないのではないでしょうか。
幸せとは、出力の高い豪華な出来事ではなく、「これでいい」と静かに言える瞬間が、暮らしの中に増えていくこととも言えると思います。それはつまり、自分の機嫌を自分で取ることができるということでもある。
ファッションは、華やかで、アートやカルチャーとも距離が近く、ときに高尚で、センスに依存するもののように見える側面があります。
けれど本来、衣服はもっと生活に溶け込んだ存在であり、人間の暮らしそのものと強く結びついています。その人の幸せを支える、大きな柱の一つであるということを、忘れてほしくないと思っています。
加速し続ける衣服の消費サイクルは、衣服との付き合い方を過度にカジュアルなものにしてしまったのではないでしょうか。衣服は、幸せを見出す機会の総量に直結する存在でもあるはずで、こう考えると決して軽視し続けるべきものではないと言えます。
過度にカジュアルな消費から少し距離を置き、衣食住の一角として、理由をもって大切にできるものを迎え入れる。自分は、その体験を通して、暮らしが少しずつ豊かになっていく実感を得る人を増やしていきたい。そのために、これからもものづくりを続けていきたいと思っています。