TMMYの根幹、哲学、経緯
Share
こんにちは。松田です。
読みにきてくださりありがとうございます。
このブログを読んでいただけることはとても嬉しいです。
なかなか、何かををしっかりと伝えるということは、それ自体の機会や十分な環境を用意することもとても大変なことだと痛感しています。
だからこそ、好きなように文字として伝えたいことをここに残し、目を通していただくことができるのは大変ありがたいことなのです。
今回は自分がなぜブランドとして、TMMYと銘打って活動をし始めたのか、ということをつらつら書き残しておこうと思います。
細かい具体的なプロダクトやディテールなどというより、根源的な成り立ちのストーリーです。
----------
まず、自分がTMMYという活動体として動き出す出発点になっているのは、衣服というものが本来、多くの人の仕事と膨大な時間の積み重ねによって生まれるものであるにもかかわらず、近年、その廃棄に対する心理的なハードルが著しく下がっている現状への問題意識でした。
僕は服づくりに携わる中で、また製品が完成するまでのサプライチェーンに触れる中で、衣服は決して容易に、短時間で生まれるものではないという不変の事実を目の当たりにし、強く実感しています。
日本各地の産地に存在する職人の高度な技術、そして一つひとつの工程に費やされる時間と労力の積み重ねによって、はじめて一着の衣服が成り立っています。布を織るにしても、糸を紡績して加工して、巻いて、機械を整備して、織って、メンテナンスして、検品して、染めて、洗って、みたいに、遡り始めると途方もない道のりがあります。これを経て布が出来上がり、そこからデザイン、パターンメイキング、裁断、縫製、加工、仕上げ、と工程を経て布が衣服になって行き、さらにそこから流通していくまでのマーケティング、ブランディングなどPRやコミュニケーションを経て店頭に並んだりSNSに露出して消費者の手に届きます。
最早よく言われていることですが、現在のファッション業界においては大量生産・大量消費の構造が定着しています。そして消費者は、生産背景を知る由もなく(しょうがない)、その結果衣服が単に無機的に、「陳列された消費物」として扱われているといえる現状があります。
衣服が消費物であるのは事実ですが、この結果、本来は多くの人の仕事の結晶であるはずの尊い衣服であっても、消費のタイミングに感情が介入しないため比較的容易に手放され、廃棄されてしまうことへの抵抗感の薄れに繋がっていると考えるようになりました。
近年では、持続可能な消費活動への関心の高まりや、リペア・再利用といった考え方が一定の広がりを見せています。また、日本の伝統工芸や意匠、日本製のテキスタイルに対する海外からの関心も年々高まっていますし、一部の日本の工場ではでは、シーズン内に限られた生産キャパをハイメゾンが取り合うようなことも起きています。
日本各地の産地には、そのくらい確かに高品質で素晴らしいクリエイションが存在しています。その一方で、ファストファッションは依然として強い存在感を持ち、特に価格面においては若い世代にとって非常に魅力的な選択肢であり続けています。実際、私自身もその消費サイクルを経験してきた一人です。
生産背景を認知したからこそ、早い消費サイクルが慢性化している今のこの状態が、純粋に悲しいし、寂しくもったいないものだと僕は感じます。ここから、自分なりに「どうしたら1着の衣服を大切にすることができるのか」や「大切に着続ける衣服とはどんなものなのか」という問いに向き合うようになります。
思索の末、導いた答えは、その衣服を有機的なものにすること。つまり温度を感じ、それは単純な消費ではなく、作り手の手仕事の痕跡や再構築された感情的なつながりによって何かが一段特別な衣服を届けること。
生産背景にほとんど関与しない「単純な消費」からの逸脱こそが、衣服の寿命を延ばす一つの鍵であると考えています。
どんなに機能性を備えた衣服でも、使い人とそのマインドによってはすぐにダメになります。一方で、例えば繊細なレースのドレスであっても、使う人によっては一生物になります。つまり、衣服の寿命はあくまで着用者に委ねられていて、そのマインドを少しでも寿命を伸ばす方向に向けるアシストをすることが、僕がブランドとして活動し衣服をデザインして提案することで貢献できる最大限の行動だと考えています。
